もし自分の誕生日をすべて自分で段取りしなければならないとしたら、どう思うだろうか?少し寂しくないだろうか?
招待客に電話をかけ、誕生日のごちそうと誕生日ケーキをすべて自分で用意する。その上、自分の欲しいプレゼントのリストを招待客に伝える。そんなこと、今まであっただろうか?
自分の誕生日ぐらい誰かに用意してもらいたい、ケーキぐらいは誰かに用意してほしい、と思うはずだ。ここ日本では、自分の誕生日は、奥さんや旦那さんのパートナーや子どもたち、両親、友人が誕生日のためにレストランを予約したり、手料理やケーキを用意してくれたりする。そしてみんなで集まってお祝いをするのが一般的だろう。誕生日プレゼントのリクエストをあからさまに「ナイキのスニーカーが欲しい!」などと要求することはあまりないはずだ。
しかし、日本では「当たり前」だと思われていることが、所変われば全く逆になることがある。
自分のことは自分でする
私の妻の故郷であるドイツでは、日本の「当たり前」が全く通じないことが起こる。自分の誕生日は自分で段取りするのが普通なのだ。
自分の誕生日が近づくと、友人や家族、知人、近所に「自分の」誕生日パーティーの招待をする。パーティーには、ケータリングで食事を手配し、バースデーケーキを用意する。そして「自分の欲しい物」リストを伝えるのだ。人によっては、自宅を風船や、キラキラしたデコレーションで飾る。そうやって自分の誕生日を段取りするのだ。
ドイツ人は基本的に自分のことは自分でやるので、誕生日パーティーも自分で段取りする(笑)。もちろんドイツでも誰かが誰かの誕生日パーティーを段取りすることはあるが、そもそもそれは一般的ではない。
自分の住んでいる世界とはかけ離れた話ではないだろうか?
自分の常識は誰かの非常識
米軍ビジネスでも同じことが起こる。今まで進めてきたビジネス慣習が、米軍基地内に一歩入ると通じないことがあるのだ。例えば、支払い方法の請求の仕方であったり、手続きの進め方であったりと、色々なことが基地の外とは違う。
ビジネス慣習が日本と違うのは当然だ。例えば、資材を輸入する際、見積もりにかかったコストを見積もり依頼した企業に請求する、なんてことが起こったりする。普通ありえないと思うことがいろいろと起こるのだ。
だが、日本ではありえないことが起こることを知っておけば、それに対して用意することができるので、うまくビジネスをやりくりすることができる。しかし、「ここは日本だから」という常識を外国に持ち込むのは危険だ。互いの常識を押し付けると摩擦が生じる。相手の言うことを理解し、柔軟に対応することができれば問題は起きない。
どこまであなたが相手の常識を理解するか、当たり前を当たり前ではないという前提で話を進めるかで結果は変わってくる。
米軍ビジネスの常識をあなたはどこまで受け入れることができるだろうか?