442という数字を聞いたことがあるだろうか?アメリカでは442というとあまりにも有名な意味を持ち、ただの数字の羅列ではない。442とは、米国陸軍史上最も多くの勲章を獲得した部隊の数字だ。アメリカ人は今では尊敬の念を持ってその数字を語る。そして米国陸軍では必ず442部隊の戦いを学ばなければならないほど有名な部隊である。
第442歩兵連隊は、第二次世界大戦のとき、日系アメリカ人によって構成され、ヨーロッパ戦線で活躍した部隊なのだ。
真珠湾攻撃で在米日系人の生活が激変
1941年12月の真珠湾攻撃で、当時アメリカに住んでいた日本人は、敵性外国人というレッテルを貼られ、強制的に自分たちの住む場所から米国本土にある収容所に移動させられた。常に監視の下、移動も仕事も制限され、厳しい生活を送らなければならなかったのだ。
移民二世の日系人は、見た目は日本人でもアメリカで生まれた世代で、アメリカのことしか知らない。当然彼らはアメリカに対して愛着がある世代だ。その本気度を示すべく軍に志願することになる。当時は差別が当たり前の時代だ。アジア人であり、敵国出身の日系人は、部隊の白人には蔑まれ、もし太平洋戦線に部隊を送れば、「同じ民族の日本軍に寝返るのではないか?」という疑いの目で見ていた軍上層部は、日系人部隊をヨーロッパ戦線に派遣することにしたのである。
戦闘力を低く見られていた日系人部隊
当時の日系人部隊は、米軍上層部では、身長も低く、当時の白人よりも体力が劣っていて役に立たないと見られていた。しかも白人の弾除け部隊として扱われていたのだ。しかしこの判断は間違いだったということを、日系人部隊は命を張って証明することとなる。
死傷率314%
当時442連隊に従軍した日系人は14,000名で、死傷率は314%という米国史上ありえない数字だった。つまり1人当たり3回以上は負傷している計算になる。実際、少なくとも9,500人弱が勲章を授与されているのだ。
442連隊はイタリアでの戦いに従軍し、次に派遣されたのがフランスの北部だった。北フランスでは、当時「テキサス大隊」と呼ばれる米軍の部隊がドイツ軍に包囲され孤立してしまう事態が発生していた。そこでその包囲網を破り、テキサス大隊を救出せよと442部隊に命令が下る。包囲するドイツ軍は442部隊の動きを察知し、激しい攻撃をしてきた。何とかドイツ軍部隊を撃退しテキサス大隊と合流を果たした442部隊も甚大な損害を受けたのだ。戦死58名、負傷者800名。対してテキサス大隊は211人。211人を救うために858人の血を犠牲にし救出したのである。
442連隊の勲章の数は米国史上1位
どれだけ442部隊がすさまじく獅子奮迅したのかを表すのが勲章の数だ。今わかる範囲で例を挙げれば、議会名誉黄金勲章1個、議会名誉勲章21個、殊勲十字章52個、銀星章560個、勲功章22個、陸軍軍人章15個、ブロンズメダル4,000個、名誉負傷章4,000個以上。そして直接大統領からの感謝状が7回も442部隊に授与され、第二次世界大戦が終結し76年経った今でもこの勲章の数の記録は破られていない。
日系人は外側の敵と「ジャップ」と蔑んだアメリカ人を相手に、血を流し尊敬を勝ち取ることができたのだ。
442部隊の血は我々にも流れている
ここまで述べた日系人部隊のルーツはここ日本にある。日本人の底力が存分に発揮した結果が先ほどの勲章の数になる。どれだけ優秀だったか、どれだけ国に尽くしたかを表していると思う。
我々には442部隊の血が流れているはずだ。あなたの会社の底力を発揮する場所は常に米軍基地内にある。442部隊の血が流れるあなたが活躍できる場所を、米軍ビジネスで探してみよう。
442部隊のモットーにはこういうものがある。
「Go for Broke」:当たって砕けろ。
あなたの行動が米軍基地内の困りごとを助けることにつながる。どんな形にせよ、米軍ビジネスであなたの会社の底力を見せつけよう。
Go for broke。